ボートレース桐生の苦難の道のり
ボートレース桐生は群馬県にある競艇場だ。
桐生競艇場は1956年11月8日に初レースが行われたのだが、これは全国24カ所ある競艇場の中でも最も遅いタイミングであった。
できた当初は経営状況も良かったのだが、1992年度をピークにして売り上げが減少する。
経営状況の悪化は、第一施工者である桐生市と、当時施設会社だった関東開発との対立を招いた。
関東開発の現会長である『笠川和弘』さんは当時のことを以下のように振り返っているそうだ。
業界全体で売り上げ減少が続く中、桐生市は営業努力を欠くだけでなく、「賃料を下げろ」の一点張り。当時、最も売れていた3連単舟券の発売機を導入することもなく、ブームから完全に孤立し、売り上げはみるみる落ちていった。
知っている人は少ないだろうが、3連単という舟券は競艇が開始した当初からあったわけではない。
競艇の3連単は他の公営ギャンブルに先駆け、2000年の10月から販売が開始された。
戦後に競艇が開催されるようになってから、実に40年以上もの間、3連単は存在しなかったのだ。
販売してからは競艇の売り上げを支えていた3連単だが、桐生市は3連単の舟券が販売できる発売機の導入を渋っていたらしい。
予算がかかるのはもちろんだが、売り上げに直接関わる部分に投資できないのにはどんな理由があったのだろう?
一人の競艇ファンである私にはわからないことだが、当時の競艇好きにとっては3連単が購入できない桐生競艇場はつまらない場所に思えたという気持ちはわかる。
逆転の一手は?
苦しい経営状況が続いた桐生競艇場は桐生市から見放される形となった。
第一施工者が阿佐美水園競艇組合(当時)に変わり、新しいスタートを切った桐生競艇場が初めに行ったのはナイター開催だ。
最初に打った手は、日本初のナイター開催を可能にすることだった。多くの人が働いている昼間ではなく、夜に商売をしたほうがいいんじゃないか。仕事が終わった後、ゆっくり楽しんでもらえたら、競艇をギャンブルではなくレジャーとして見てもらえるかもしれない。
桐生競艇場は、全国24カ所ある競艇場の中でもっともはやくナイターレースが開催された競艇場だ。
競艇は水面スレスレを猛スピードで競走する、一歩間違えれば大事故につながりかねない競技だ。
ギャンブルという側面から見ても、公正なレースを行わなければファンは離れていってしまう。
暗い夜の開催で、安全かつ公正にレースを行えるようになるには長い年月が必要だ。
しかし、桐生競艇場はその努力を成し遂げた。
ナイターレースの開催から売り上げは好調である。
2014年度には全国1位、関東5位の売り上げを達成し、2016年度にはついに売り上げが全国2位となった。
競艇場に来てくれる人のことを考えた新しいサービスを次々と展開してくれる、ボートレース桐生の今後の活躍に期待したい。